Book review 〜春風駘蕩〜

気に入った本の書評・感想や本関連の話題を書いていきたいです。

観画談 幸田露伴

読んで字のごとくの、画を観る談(はなし)である。

 

同著者の『幻談』にもみられた、五感がくらくらと揺さぶられるような、感覚が鈍ったり冴えたりというような筆致で、物語が紡がれている。

 

幻談・観画談 他三篇 (岩波文庫)

幻談・観画談 他三篇 (岩波文庫)

 

 あらすじ

某と記憶されるとある人物は、貧家に生まれ育った普通人型の出来の良い方の人間で、晩学ではあるが大学にまで漕ぎ着けたという苦学生である。ここから、大器晩成先生と渾名された。しかし大器晩成先生は、大学の中途に不明の病気に罹る。神経衰弱か、はたまた慢性胃病であるのか。医師の判断は曖昧であった。そこで大器晩成先生は、奥州に漫遊の旅に出て、ある大雨の夜に寺に一宿を乞うた。しかし、大雨は強くなる一方で、若僧に案内されながら高台の草庵へと避難した。その草庵には画の軸が懸かっており、 それは美わしい大江に臨んだ富麗の都の一部を描いたものであった…

 

 

雨の表現と混沌・秩序

物語は、淡々と大器晩成先生の経歴を述べ、読者を奥州漫遊の旅へと誘う。

 

奥州では雨が降りしきる。

 

その表現がまた独特で、幻想的であり怪奇的だ。

 

世界という者は広大なものだと日頃は思っていたが 、今はどうだ 、世界はただこれザアッというものに過ぎないと思ったり 、また思い反して 、このザアッというのが即ちこれ世界なのだナと思ったりしている中に 、自分の生れた時に初めて拳げたオギャアオギャアの声も他人のぎゃっといった一声も 、それから自分が書を読んだり 、他の童子が書を読んだり 、唱歌をしたり 、嬉しがって笑ったり 、怒って怒鳴ったり 、キャアキャアガンガンブンブングズグズシクシク 、いろいろな事をして騒ぎ廻ったりした一切の音声も 、それから馬が鳴き牛が吼え 、車ががたつき 、車が轟き 、船が浪を蹴開く一切の音声も 、板の間へ一本の針が落ちた幽かな音も 、皆残らず一緒になってあのザアッという音の中に入っているのだナ 、というような気がしたりして 、そして静かに諦聴すると分明にその一ツのザアッという音にいろいろのそれらの音が確実に存していることを認めて 、アアそうだったかナ 、なんぞと思う中に 、何時か知らずザアッという音も聞えなくなり 、聞く者も性が抜けて 、そして眠に落ちた 。

 

世界がザアッという音に過ぎないだとか、ザアッという音が即ち世界なのだという、常人には想像力の到底及ばない幻想世界がめくるめいている。

 

上記引用文からも判ると思うが、観画談と言いながらも、視覚的な表現より聴覚的な表現を多用し、目眩を起こし、くらくらとするような表現が多用されている。

 

引用文の音の変化を追うと、全体を通してザアッという雨音が響き、オギャーや、ぎゃっといった声や音が重なり、最後には眠りに落ちて一瞬で無音になる。

 

この連続する非日常性こそが、即ち混沌と言えるであろう。

 

そういった混沌から、草庵に舞台が移ることで、世界は秩序立ったものへと変化する。

 

それにより、ただ時刻を認める事や、時計の針の音が鳴っているという普通の事に、大器晩成先生は不安を覚えたのだろう。

 

 

 

以下ネタバレ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

何故棄学し平凡人となったのか

さて、先生は最後に棄学する。

 

それは、不明の病気の原因が学業にあったという事に自覚があったからであろう。

 

高等教育を受けるという事は、それだけ高度で専門的な職に就く事になるだろう。

 

そしてそれは、多くの金銭を得る事にも繋がる。

 

俗物的な価値観だ。

 

大器晩成先生は秩序立った世界で、画の中にそういった俗物的な価値観とは違う価値観を見出したのだろう。

 

故に平凡人となったのだ。

 

私はこの価値観に、老荘思想的な雰囲気を感じたのだが、如何であろうか。