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Book review 〜春風駘蕩〜

気に入った本の書評・感想や本関連の話題を書いていきたいです。

李陵 中島敦

書評 レビュー 感想 中島敦 山月記 李陵 司馬遷

高校国語で中島敦の『山月記』を読んだ人は多いであろう。斯く言う私も高校で『山月記』を読み、その格調高い文体と、古代中国を舞台にした不思議で哀しき物語に魅せられたクチである。

李陵・山月記 (新潮文庫)

李陵・山月記 (新潮文庫)

 

 また、中島敦というと最近では「文豪ストレイドックス」という漫画・アニメ作品の主人公となったことで興味を持った人も多いのではないだろうか。私もアニメの第1話を視聴してみたが、山月記の李徴よろしく主人公中島敦が虎に化けて戦うという、荒唐無稽かつ痛快な作品であった。

 

さて、『李陵』は『山月記』と同じく中国を舞台にした物語である。

時は前漢。今から数えると2100年前もの昔の物語だ。李陵の紹介は、本文から引用するのが適当だろう。引用文からもわかるように『山月記』よりも平易な文章なので、興味を持たれた方は是非読んで欲しい。

陵は 、飛将軍と呼ばれた名将李広の孫 。つとに祖父の風ありといわれた騎射の名手で 、数年前から騎都尉として西辺の酒泉 ・張掖に在って射を教え兵を練っていたのである 。

冒頭で李陵は、五千の手勢を率いて匈奴征伐の助勢に向かう。しかし向かう敵は三万や八万の大軍勢。いくら李陵が練った精強な兵でも多勢に無勢、李陵は匈奴に捕らえられてしまう。脱出しようにもできず、そこで生きる決意をした李陵の苦悩が描かれていく。

 

また李陵が匈奴に身を売ったという俗説が流布し、李陵を見捨てようとする佞臣が大勢を占めていた中で、これを否定した男がいた。史記を記したことで有名な司馬遷である。しかし司馬遷の進言は不遜であるとして武帝の怒りに触れてしまい、司馬遷宮刑を受ける。宮刑とは、男性器を削ぎ落とすという最も醜陋な刑である。

 

あの高名な司馬遷宮刑を受けるとなると、周りが助けに入りそうなイメージを抱くが、当時の司馬遷の行状は以下のようなものだったそうだ。

後代の我々が史記の作者として知っている司馬遷は大きな名前だが 、当時の太史令司馬遷は眇たる一文筆の吏にすぎない 。頭脳の明晰なことは確かとしてもその頭脳に自信をもちすぎた 、人づき合いの悪い男 、議論においてけっして他人に負けない男 、たかだか強情我慢の偏窟人としてしか知られていなかった 。彼が腐刑に遇ったからとて別に驚く者はない 。

腐刑とは宮刑の別名である。宮刑を受けた司馬遷は生きることに対して苦悩する。しかし、司馬遷には父子相伝史記の編纂という生きる目的があった。ここが、匈奴に捕らわれた李陵の苦悩とは異なる点であり、生きる光明であったのだろう。

 

李陵は中国史的に見ても、別段その歴史に積極的に関わった人間ではない。しかし、前漢の騎都尉として匈奴征伐を行い、捕らわれ、生き続けたという史実がある。しかも李陵は、漢に対して戦闘行為を行うことを避けた。そんな李陵には、少なからぬ苦悩があったことは確かだろう。そして、李陵に類連して宮刑を受け、生への希望を失った司馬遷もまた。

中島敦『李陵』は、そんな人間の苦悩と個々人の生きる意味について切り込んだ傑作である。