五重塔 幸田露伴
露伴を読もうと思い立ったのは、
勝海舟の言がきっかけだ。
晩年の勝海舟(Automatic Image Colorization・白黒画像の自動色付けにより着色)
海舟の言行録『氷川清話』の中には、以下のような海舟流の小説論がある。
今の小説家はなぜ穿ちが下手だらう。諷刺といふことを殆んど知らない。たまたま書けば、真面目で新聞に毒づくくらいの事だ。気が短いのか脳味噌が不足なのか。馬琴の八犬伝も、徳川の末世のことを書いて不平の気を漏らしたのだ。ちよつとみると何の意味もないやうだが、その無さゝうな所が上手なのサ。
以下も『氷川清話』からだが、当時の小説を批判していた海舟が露伴の事は褒めているのだ。
小説も退屈なときには読んでみるが、露伴という男は、四十歳ぐらいか。あいつはなかなか学問もあって、今の小説家には珍しく物識で、すこしは深そうだ。
この一言に影響されて海舟フリークの私は、露伴の五重塔を手に取った。
『五重塔』は文語体で書かれた小説だ。
文語体というと小難しいという先入観があり読むのに抵抗があったが、その心配は杞憂に終わった。
露伴の江戸ッ子気質の軽快な文体で、すぐに物語に入り込むことが出来たからである。
露伴は文語体に抵抗がある方にこそ読んで欲しいと思う。
さて、『五重塔』は谷中感応寺の五重塔建築を巡る源太と十兵衛という職人を描いた物語である。
寛政三年(一七九一)に近江国(滋賀県)高島郡の棟梁八田清兵衛ら四八人によって再建された五重塔は、幸田露伴の小説『五重塔』のモデルとしても知られている。総欅悸造りで高さ十一丈二尺八寸(三四・一八メートル)は、関東で一番高い塔であった。
とある。
どうやら登場人物は異なるので、この物語は五重塔とその時代を舞台にした、時代小説と位置付けるのが妥当そうである。
【あらすじ】
源太は先の五重塔を見事竣工させた名棟梁。粋な江戸ッ子気質で、気風の良いさっぱりした好男児。情もあり、棟梁としては申し分のない人物だ。
対して十兵衛は、源太の元で働く一大工。腕は確かだが、“のっそり”と渾名され揶揄される風采の上がらぬ男である。
感応時からは、始め源太に五重塔建築の依頼があった。しかしこの一生に一度あるかないかの一大プロジェクトに魅入られていた十兵衛は、五重塔建築を自分に担わせてくれるよう感応寺の上人に懇願する。それを聞いた上人は、二人を呼び寄せ、雑談の中で説話を説き、どちらが建てるかは二人で相談して決めるように諭したが…
さて十兵衛であるが、腕はあるが上司や同僚とのコミュニケーションにやや支障がある、世渡り下手な男。という現代にも通じる人物設定。
その十兵衛が一世一代を賭け、取り組もうとしたのが五重塔の建築だ。
棟梁源太は、相談で妥協点を見出そうとするが、そこは十兵衛も江戸ッ子。やるかやらぬかの二択に一つしか答えを認めない。この二人の対話が江戸ッ子という気質の本質を描いているようで非常に面白かった。
また人望ある棟梁源太だが、情をかけたと思ったら次には怒ってみたりと気の短さを窺わせる。対して十兵衛は愚直に一点張り。実は確固とした定見を持っていたのは十兵衛かもしれない。
しかし物語は、二人の勝敗を決めたり、甲乙付けようと言うものではない。相容れない理屈を通して江戸人の気風を描こうとしたのではあるまいか。
最後に、五重塔を建てたいと十兵衛が拘ったのはエゴだとする評がある。確かにそうかもしれない。しかし、後世に源太と十兵衛の二つの五重塔が建つということはその建築様式や建築技術の多様性の確保という点で有益ではなかろうか。また、最大多数の最大幸福も実現されるだろう。
露伴の『努力論』には、“植福”という考えが提案されている。
植福とは何であるかというに、我が力や情や智を以て、人世に吉慶幸福となるべき物質や情趣や智識を寄与する事をいうのである。即ち人世の慶福を増進長育するところの行為を植福というのである
植福を鑑みれば、十兵衛は「人世に吉慶幸福となるべき物質や情趣」を寄与した。
であれば、十兵衛の行為はエゴを超越した行為であったと評価してもいいだろう。