Book review 〜春風駘蕩〜

気に入った本の書評・感想や本関連の話題を書いていきたいです。

『走狗』Twitterプレゼント企画に当選‼︎

伊東潤先生の公式アカウントで開催された、Twitterプレゼントキャンペーンに見事当選しました‼︎

 

この限定プレゼント企画はなんと、3名にしか当選しないキャンペーンです‼︎

 

しかも、連載当時から気になっていた作品のプレゼント企画だったので、嬉しいのなんのって(≧∀≦)

 

伊東潤先生、スタッフ一同様。

本当にありがとうございますm(_ _)m

 

 

で!当選した色紙がこちら‼︎

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色紙はミニサイズですが、行間からは溢れんばかりの熱量を感じます。

 

明治維新の光と闇」とは発売当日の公式ブログで、

維新政府の光と闇を描いたノンストップ明治ノワール
歴史解釈力とストーリー・テリング力が融合された伊東潤デビュー10周年の集大成的作品『走狗』を、ぜひご堪能あれ!

という触れ込みで紹介されていたものからの引用だと思います。おそらくは、伊東先生自らが考案されたキャッチフレーズかと。

 

 

『走狗』とは…

さて、『走狗』は薩摩藩の外城士から立身出世を果たし、大警視として日本の警察機構を創設した男、川路利良の物語。

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川路利良画像

 

本書のキャッチフレーズは「翔ぶが如くへの挑戦状‼︎」である。

 

この『翔ぶが如く』とは、明治初期を舞台にした司馬遼太郎の最長編作品(文庫全10巻)。

 

明治初期の太政官政府が、その基盤を確固としたものにせんとしていた時代を描いており、クライマックスが西南戦争の作品だ。

 

つまり、司馬遼太郎作品へ正々堂々たる挑戦状を叩きつけた作品が『走狗』なのである。

 

『走狗』は幕末〜有司専制時代における最新の研究成果が盛り込まれていたり、権力闘争をミステリー仕立ての構成で読ませる作品だ。

 

まさしく新時代の歴史小説と呼ぶに相応しい完成度を誇り、上記キャッチフレーズに見合う作品となっており、現代歴史小説の白眉としてオススメできる作品だ

 

まずは書店でお手に取って、1ページ目を読んでみてほしい。

 

物語の舞台の蛤御門の変へと誘われる事間違いない。

 

走狗

走狗

 

Men'sファッションバイヤーが教える 「おしゃれの法則」

YouTuberのないとーさんのチャンネルである“ないとーVlog”で「2月に読んで良かった本ベスト3がこちら! - YouTube」という動画がupされていた。

YouTuberであるないとーさんは、今年100冊の本を読むことを目標にしているようで、その2月分の読書記録の報告動画だ。

以下、動画のネタバレになってしまうが、2月に読んだ本の1位に『最速でおしゃれに見せる方法』を挙げられていた。

 

最速でおしゃれに見せる方法

最速でおしゃれに見せる方法

 

 

これに触発されて私は、同著者の別著『Men'sファッションバイヤーが教える 「おしゃれの法則」』を購入した。

 

Men'sファッションバイヤーが教える 「おしゃれの法則」

Men'sファッションバイヤーが教える 「おしゃれの法則」

 

私も 『最速でおしゃれに見せる方法』を買おうと思ったのだが、kindle版の方が特典もあり安いので、図版の多かった『Men'sファッションバイヤーが教える 「おしゃれの法則』の方を先に手に取った次第だ。

 

著者のファッションのスタンスはこうだ。

メンズファッションにおいて、「バランスをとること」は非常に大事な考え方です。何のバランスかというと、「ドレス」と「カジュアル」のバランスです。

著者は、日本人男性はアメカジスタイルに依存しすぎており、一般に子供体型である日本人男性がこれを着用すると子供っぽくなってしまうと言う。それを改善しておしゃれに見せる方法というのが、コーディネートにドレス要素を上手く取り入れるということなのだ。この点は本書の中で何度も語られる。

 

本書では、UNIQLO無印良品などの具体的なプチプラ商品を例に挙げながら、コーディネートの提案を行なっておりとても参考になった。

私は特に無印良品の「オーガニックコットン洗いざらしブロードシャツ」が気になったので早速買ってみようと思う。

 

メンズファッションの基礎を体系化し、学生からおじさん世代まで実践できるコーディネートが提案された良書だと感じた。バイヤーらしく、具体的なアイテムも紹介しておりすぐさま実践できそうだ。脚を細く見せるテクニックなども載っているので、興味を持たれた方は是非チェックして欲しい一冊だ。

光秀の定理 垣根涼介

レンマ:定理(サンスクリット語
定理:ある理論体系において、その公理や定義をもとにして証明された命題。
そしてそれ以降の、推論の前提となるもの。
(例)ピタゴラスの定理

以上は『光秀の定理』単行本冒頭に掲載されていた定理の説明だ。文庫版では削除されている。代わりになのか、単行本にも掲載されていたのかは判らぬが、文庫版ではチャールズ・ダーウィンの『種の起源』からのものと思われる引用が掲載されている。

最も強き者、最も賢い者が生き残るわけではない。

唯一生き残る者、

それは、変化できる者である。

チャールズ・ダーウィン 

 

光秀の定理 (角川文庫)

光秀の定理 (角川文庫)

 

 さて『光秀の定理』は明智十兵衛光秀の人間性を、創作人物である兵法者 新九郎、破戒僧 愚息との交流を通して考察してみせた歴史小説である。

 

愚息は辻博打を活計としている破戒僧だ。この辻博打が本作のタイトルでもある定理の 「モンティ・ホール問題」を使用したものなのだ。寡聞にして、私は「モンティ・ホール問題」を初めて知ったが、ジレンマやパラドックスとも称される有名な確率の問題のようだ。

 

さて、レンマ(lemma)とはサンスクリット語では定理とされる。現在では特に、数学的には補助定理・補題ともいう。これは、定理の証明を補助する結果を意味するものであり、定理の区分の一種をいうようだ。また哲学においては、四句分別と漢訳されるインド論理学のひとつであるという。

登場人物である愚息の経歴から言って、後者の意味も関係するかとも考えたが、愚息が私淑する釈尊は四句分別を否定したという。そのため、レンマとはタイトル通りシンプルに現在一般に言う「定理」と捉えて良いようだ。

 

本作は“定理”という、理系的な思考法で戦術や戦国の世そのものを捉えた作品であり、他の作品とは一線を画す。また物語の最後には、定理から戦国の世の理も導き出される仕掛けが施されている。

 

合戦シーンなどはないが、定理を絡め、光秀の人間性に深く切り込んだ興味深い作品だ。

徳川がつくった先進国日本

戦国期から江戸期への変化は、徳川幕府が開府して武断政治から文官政治へと移行したというような、まるで一朝一夕になったかの如くに語られる。しかし勿論そんなはずはない。それを平易な文章で紹介しているのが『徳川がつくった先進国日本』である。

徳川がつくった先進国日本 (文春文庫)

徳川がつくった先進国日本 (文春文庫)

 

 文章も平易ながら、ページ数も156頁ととてもコンパクトな文庫なので、このテーマに興味を持った方は是非とも手にとってもらいたい一冊だ。

 

さて、江戸人は飢饉地震、噴火などに代表される天災や、ロシアからの対外的な圧力などの危機に晒されて、それをひとつひとつ丁寧に乗り越えてきた。これにより、我々がイメージする繁栄した江戸の時代があったのだと著者は言う。

そして、その危機を乗り越える過程で、国防意識の高まりや、民命の尊重などの現在にも通じる理論が醸成されていったのだそうだ。

 

現代においても、地震津波などの天災や、歴史の浅い科学技術の原子力発電の事故による放射能汚染など、危機が多く存在する。これらに対処するに当たって、この江戸人が経験した歴史が参考になるのではないか、というのが著者の持論だ。その中で最も重要だと説く一文を以下に引用する。

目の前の問題が大変だからといっても、百年の計、すなわち長期的な視点を失わないようにしなければなりません。それが、幾多の危機を乗り越えてきた江戸時代の人びとの生き方から学びとることができる、最大・最高の教訓だと、私は思います。

江戸時代の人々は、その成否は置くとしても長期的な視点を持って行政に当たったのだという。その長期的な視点こそが「愛民」という視座を与え、天賦人権論の萌芽のようなものを見出していたのだろう。

 

点で学んでいた江戸時代の歴史が、本書によって線で結ばれた。特に歴史を学ぶ事の意味を、全体を通して実感できる構成になっていたように思う。“今”は過去の積み重ねである事を忘れずに、歴史に学び、個人でも長期的な視点を失わないようにと思わずにはいられない良書であった。

7net直筆サイン本フェア開催 買うか迷うΣ(-᷅_-᷄๑)

7netで数量限定 直筆サイン本フェアが始まりました。3/1,3/3,3/10の正午にそれぞれ発売開始のようです。

 

私は収集癖があるためか、サイン本が好きで見かけると衝動買いしてしまうことが多いです。

 

書店でサイン本を見かける事は多いですが、大手のネットショップではサイン本を取り扱っているのは7netくらいではないでしょうか?

サイン本好きな方は覗いてみる価値はあると思いますよ!

個人的には北方謙三氏の水滸伝を買うか迷っています。さて、どうしたものかΣ(-᷅_-᷄๑)

信長の影 所収 『浅井長政』 岡田秀文

 

信長の影 (双葉文庫)

信長の影 (双葉文庫)

 

 現在、岡田秀文著『信長の影』を読んでいる。

これはそのタイトル通り、信長を取り巻く人物を描くことで信長の影を浮き上がらせていく短編集だ。場面説明や背景説明が多い作風ではあるが、これが登場人物の内面を強調させていて中々面白い作品という印象をもった。

 

第1編は上杉謙信の視点。第2編では信長の叔父、織田信光の視点。そして、第3編では浅井長政の視点が描かれる。

 

上杉謙信や、信光在世時の尾張統一時代の物語は目にするが、浅井長政視点となると意外と無いものである。そのためまず浅井氏の縁起を興味深く読んだ。

古来 、浅井家は北近江の守護職京極氏に代々仕えてきた国人であった 。長政の祖父亮政の時代に 、京極家内の家督争いに端を発した内紛に乗じて 、浅井家は主家京極氏を圧し 、北近江随一の勢力を誇るようになった 。しかし 、その権力基盤は盤石にはほど遠く 、京極氏の反撃 、京極氏の本家筋である南近江の六角氏からの圧迫 、美濃の齋藤氏の侵入などに悩まされつづけた 。

 

浅井亮政は病に没するその時まで六角 、京極との争いに明け暮れた 。跡を継いだ久政は 、六角氏との一戦に敗れた後 、六角氏との同盟の道を探った 。嫡子長政の正室に六角氏の家臣平井定武の娘を娶ったのも 、六角氏の意を迎え 、自らの権力基盤を高めようとしたために他ならない 。しかし 、皮肉なことに国内では六角氏に従属する屈辱的な同盟に 、反発するものが大勢となり 、久政は失脚し一時は琵琶湖湖畔の孤島 、竹生島での幽閉の身を余儀なくされた 。以来 、平井定武の娘を離縁した長政が当主の座にある 。

浅井長政というと、織田信長の髑髏盃のイメージが強く、浅井氏は久政・長政の二頭態勢で運営されていたのかという思い込みがあったが、父久政は竹生島で幽閉されていた時期があったのだ。しかし、信長に同盟を持ちかけられた当時は小谷城内で隠居しており、小説では実質的な力は失っている状態にあるとして描かれている。

 

ところで、浅井長政は15歳で家督を継ぎ、28歳で亡くなっている。肖像画を見る限りは、壮年の大名でありそうなものだったので、亡くなったのが28歳というのを知った時には驚いたものである。

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 小説では、若年の長政の葛藤がありありと描かれる。長政は見せかけは豪放磊落を装い、評定時には声を放てばそれが鶴の一声となる。しかし、内面は優柔不断という本性がある。この、統制の取れていない性格故に、家臣の統制に後々苦しむこととなるのだ。本作ではそんな、長政の苦悩が描かれている。

 

本作を読んで私は、家臣の統制に苦慮する若年の大名として、武田信玄の嫡子武田勝頼を連想した。勝頼も信玄が遺した重臣たちに軽んじられ、家臣の統制に苦慮した一人だ。勝頼は武断派の為、家臣の統制をはかるために無謀な戦を行い実績をあげ、求心力を得ようとした。しかしこれが裏目に出て、長篠の戦いで大敗北を喫する。対して物語の長政は優柔不断な性分から、評定をまとめることはできたが、自分の意見を出して部下を従わせるということができずに、滅亡の道を一歩踏み出してしまう。

同じような立場で、対極的な二人はいずれの手法でも家臣の統制が上手くいかなかったようだ。若年のリーダーが、年上の部下を従えるというのは斯くも難しいということなのであろうか。

李陵 中島敦

高校国語で中島敦の『山月記』を読んだ人は多いであろう。斯く言う私も高校で『山月記』を読み、その格調高い文体と、古代中国を舞台にした不思議で哀しき物語に魅せられたクチである。

李陵・山月記 (新潮文庫)

李陵・山月記 (新潮文庫)

 

 また、中島敦というと最近では「文豪ストレイドックス」という漫画・アニメ作品の主人公となったことで興味を持った人も多いのではないだろうか。私もアニメの第1話を視聴してみたが、山月記の李徴よろしく主人公中島敦が虎に化けて戦うという、荒唐無稽かつ痛快な作品であった。

 

さて、『李陵』は『山月記』と同じく中国を舞台にした物語である。

時は前漢。今から数えると2100年前もの昔の物語だ。李陵の紹介は、本文から引用するのが適当だろう。引用文からもわかるように『山月記』よりも平易な文章なので、興味を持たれた方は是非読んで欲しい。

陵は 、飛将軍と呼ばれた名将李広の孫 。つとに祖父の風ありといわれた騎射の名手で 、数年前から騎都尉として西辺の酒泉 ・張掖に在って射を教え兵を練っていたのである 。

冒頭で李陵は、五千の手勢を率いて匈奴征伐の助勢に向かう。しかし向かう敵は三万や八万の大軍勢。いくら李陵が練った精強な兵でも多勢に無勢、李陵は匈奴に捕らえられてしまう。脱出しようにもできず、そこで生きる決意をした李陵の苦悩が描かれていく。

 

また李陵が匈奴に身を売ったという俗説が流布し、李陵を見捨てようとする佞臣が大勢を占めていた中で、これを否定した男がいた。史記を記したことで有名な司馬遷である。しかし司馬遷の進言は不遜であるとして武帝の怒りに触れてしまい、司馬遷宮刑を受ける。宮刑とは、男性器を削ぎ落とすという最も醜陋な刑である。

 

あの高名な司馬遷宮刑を受けるとなると、周りが助けに入りそうなイメージを抱くが、当時の司馬遷の行状は以下のようなものだったそうだ。

後代の我々が史記の作者として知っている司馬遷は大きな名前だが 、当時の太史令司馬遷は眇たる一文筆の吏にすぎない 。頭脳の明晰なことは確かとしてもその頭脳に自信をもちすぎた 、人づき合いの悪い男 、議論においてけっして他人に負けない男 、たかだか強情我慢の偏窟人としてしか知られていなかった 。彼が腐刑に遇ったからとて別に驚く者はない 。

腐刑とは宮刑の別名である。宮刑を受けた司馬遷は生きることに対して苦悩する。しかし、司馬遷には父子相伝史記の編纂という生きる目的があった。ここが、匈奴に捕らわれた李陵の苦悩とは異なる点であり、生きる光明であったのだろう。

 

李陵は中国史的に見ても、別段その歴史に積極的に関わった人間ではない。しかし、前漢の騎都尉として匈奴征伐を行い、捕らわれ、生き続けたという史実がある。しかも李陵は、漢に対して戦闘行為を行うことを避けた。そんな李陵には、少なからぬ苦悩があったことは確かだろう。そして、李陵に類連して宮刑を受け、生への希望を失った司馬遷もまた。

中島敦『李陵』は、そんな人間の苦悩と個々人の生きる意味について切り込んだ傑作である。