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Book review 〜春風駘蕩〜

気に入った本の書評・感想や本関連の話題を書いていきたいです。

京都旅行で花街「島原」に行ってきました その1

書評 レビュー 浅田次郎 京都 島原 輪違屋 感想

先日京都旅行に行き、寺院巡りをしてきました。

 

東福寺本願寺南禅寺などを巡る中で、西本願寺に行った際に時間に余裕ができたため、近くにある花街「島原」へと足を向けたのでした。

 

私が島原を知ったのは、浅田次郎新撰組三部作の二作目輪違屋糸里でした。

 

 

輪違屋糸里 上 (文春文庫)

輪違屋糸里 上 (文春文庫)

 

 

輪違屋糸里』は置屋・商家・壬生住人士などの女性側の視点を強く打ち出した作品。

物語は、新撰組がまだ浪士組と呼ばれていた頃から始まります。特筆すべきは、芹沢一派の人物造形の緻密さ。これがとても魅力的に描かれています。百姓と侍。詐謀と愚直さ。そして男と女。クライマックスに向けて、様々な対立構造が浮かび上がります。その中で、登場人物一人一人が止むに止まれぬところまで追い詰められ、クライマックスは「悲哀」に満ちた決断を迫られます。

 

 

さて、その舞台が花街「島原」です。

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写真はその入口の島原大門。

この門を潜ると、江戸時代には左右に整然と置屋揚屋が並んでいたそうです。

島原大門は島原の東に位置し、東西194.9m、南北242.1mであり、面積は47200㎡あります。

 

花街とは

さて、「花街(かがい)」というと遊郭と混同しがちですが、島原で頂いたフリーペーパー『島原のQ&A』では明確な違いがあると言います。以下、引用です。

明治以降の歓楽街は、都市構造とは関係なく、業務内容で「花街」と「遊郭」の二つに分けられました。「花街」は歌や舞を伴う遊宴の町であり、一方、「遊郭」は歌や舞もなく、宴会もしない、歓楽のみの町であります。

 尚、三省堂 大辞林を引用すると、

いろまち。遊郭。花柳街。

とあります。実際には「花街」と「遊郭」という単語には意味を同じくする部分があるのも事実のようです。しかし、高度な教養と技能を兼ね備えた遊女である、太夫(たゆう)を抱えているという自負を大切にし、島原では明確に区別しているという風に感じられました。

観画談 幸田露伴

書評 レビュー 感想 幸田露伴

読んで字のごとくの、画を観る談(はなし)である。

 

同著者の『幻談』にもみられた、五感がくらくらと揺さぶられるような、感覚が鈍ったり冴えたりというような筆致で、物語が紡がれている。

 

幻談・観画談 他三篇 (岩波文庫)

幻談・観画談 他三篇 (岩波文庫)

 

 あらすじ

某と記憶されるとある人物は、貧家に生まれ育った普通人型の出来の良い方の人間で、晩学ではあるが大学にまで漕ぎ着けたという苦学生である。ここから、大器晩成先生と渾名された。しかし大器晩成先生は、大学の中途に不明の病気に罹る。神経衰弱か、はたまた慢性胃病であるのか。医師の判断は曖昧であった。そこで大器晩成先生は、奥州に漫遊の旅に出て、ある大雨の夜に寺に一宿を乞うた。しかし、大雨は強くなる一方で、若僧に案内されながら高台の草庵へと避難した。その草庵には画の軸が懸かっており、 それは美わしい大江に臨んだ富麗の都の一部を描いたものであった…

 

 

雨の表現と混沌・秩序

物語は、淡々と大器晩成先生の経歴を述べ、読者を奥州漫遊の旅へと誘う。

 

奥州では雨が降りしきる。

 

その表現がまた独特で、幻想的であり怪奇的だ。

 

世界という者は広大なものだと日頃は思っていたが 、今はどうだ 、世界はただこれザアッというものに過ぎないと思ったり 、また思い反して 、このザアッというのが即ちこれ世界なのだナと思ったりしている中に 、自分の生れた時に初めて拳げたオギャアオギャアの声も他人のぎゃっといった一声も 、それから自分が書を読んだり 、他の童子が書を読んだり 、唱歌をしたり 、嬉しがって笑ったり 、怒って怒鳴ったり 、キャアキャアガンガンブンブングズグズシクシク 、いろいろな事をして騒ぎ廻ったりした一切の音声も 、それから馬が鳴き牛が吼え 、車ががたつき 、車が轟き 、船が浪を蹴開く一切の音声も 、板の間へ一本の針が落ちた幽かな音も 、皆残らず一緒になってあのザアッという音の中に入っているのだナ 、というような気がしたりして 、そして静かに諦聴すると分明にその一ツのザアッという音にいろいろのそれらの音が確実に存していることを認めて 、アアそうだったかナ 、なんぞと思う中に 、何時か知らずザアッという音も聞えなくなり 、聞く者も性が抜けて 、そして眠に落ちた 。

 

世界がザアッという音に過ぎないだとか、ザアッという音が即ち世界なのだという、常人には想像力の到底及ばない幻想世界がめくるめいている。

 

上記引用文からも判ると思うが、観画談と言いながらも、視覚的な表現より聴覚的な表現を多用し、目眩を起こし、くらくらとするような表現が多用されている。

 

引用文の音の変化を追うと、全体を通してザアッという雨音が響き、オギャーや、ぎゃっといった声や音が重なり、最後には眠りに落ちて一瞬で無音になる。

 

この連続する非日常性こそが、即ち混沌と言えるであろう。

 

そういった混沌から、草庵に舞台が移ることで、世界は秩序立ったものへと変化する。

 

それにより、ただ時刻を認める事や、時計の針の音が鳴っているという普通の事に、大器晩成先生は不安を覚えたのだろう。

 

 

 

以下ネタバレ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

何故棄学し平凡人となったのか

さて、先生は最後に棄学する。

 

それは、不明の病気の原因が学業にあったという事に自覚があったからであろう。

 

高等教育を受けるという事は、それだけ高度で専門的な職に就く事になるだろう。

 

そしてそれは、多くの金銭を得る事にも繋がる。

 

俗物的な価値観だ。

 

大器晩成先生は秩序立った世界で、画の中にそういった俗物的な価値観とは違う価値観を見出したのだろう。

 

故に平凡人となったのだ。

 

私はこの価値観に、老荘思想的な雰囲気を感じたのだが、如何であろうか。

読書は1冊のノートにまとめなさい 完全版

書評 レビュー 感想 奥野宣之 読書ノート 実用

読書ノートに挑戦しようか。

読書ノートというものがあるそうだ。

 

読書におけるインプットをより確実なものとしたり、読書履歴を検索するためのノートの事をいうようだ。

私は熟読したい本は、シャーペンや三色ボールペンで線を引きながら読む派である。

線を引くだけならまだ気楽なものだが、ノートをとるとなると敷居がどうしても高かった。

しかし、インプットの効率が高まるのならやってみようかと興味を持っていた。

 

そこで今回読んでみた本が『読書は1冊のノートにまとめなさい 完全版』である。

 

読書は1冊のノートにまとめなさい[完全版]

読書は1冊のノートにまとめなさい[完全版]

 

 目次

  • 第1章 ノートで「読書体験」をマネジメントする
  • 第2章 必要な本を指名買いする「探書リスト」のつくり方
  • 第3章 読んだ内容を財産にする「読書ノート」のつくり方
  • 第4章 自分をつくるノートの「読み返し方」
  • 第5章 読書体験をより充実させる20のアイデア
  • 付録 ノートづくりに役立つ文房具26

 

本書概説

まず著者は「ただの読書を自分をつくっていくための「読書体験」とするために、まず読書環境から変えてい」く事を提言する。

本書で紹介している読書術とは、単に速く多く読みこなす技術ではありません。本の中身をきちんと咀嚼して確実に自分のものにするための技術です。

速読・多読とは切り離して、一冊一冊丁寧に読み込もうというのが本書のスタンスだ。

本を自分の血肉にするためには、「読む」だけではなく、「探す」「買う」「活用する」という読書の流れ(フロー)全体をつくり上げる必要があるのです。

また「探書リスト」の作成など、読書を一連の流れ(フロー)として捉えたノートづくりを提言している。

 

本書では熟読・精読のための、読書の一連の流れを踏まえたノートづくりを論じている。

 

 

自分はどの技術を使うか?

さて、一読してみて自分はどの技術を使ってみようかと考えた。

 

まず「探書リスト」について。

これはノートにA4用紙を挟み込み、そこに所望する書籍をリストアップし、書店で無駄な時間や無駄な買い物を控えよういう趣旨のリストだ。

私の場合、「読みたい本リスト」は読書メーターで一括管理しているのでこちらは使わなさそうだ。

そもそも、書店で探書する時間を無駄と思わないし、無駄な買い物などそうそうあるものではない。著者のいう書店での無駄な時間を削ぐというのは、新しい情報に触れる機会を逸し、視野を狭める一因になってしまわないかとも考えられる。

 

そして、「読書ノート」である。

これはやはりやってみる価値があると思えた。

中でも、

  • 日付のラベル化
  • 読書記録同士の境界線
  • ねぎま方式

の3つは取り入れていきたいと思った。

 

まず「日付のラベル化」であるが、

2017年03月14日 → 170314

と日付を6桁の数字化して⚪︎で囲み、読書記録の冒頭に記しラベル化するというものだ。

 

次に「読書記録同士の境界線」。

これは読んで字のごとくで、ノートをとる際はその本の読書記録が書き終わったら、その欄の下に横線を引いて、読書記録同士を区切るという事だ。つまり、予めどの程度書くかを決めずに自由に続けられる範囲で読書記録をとれるという事だ。

 

最後に「ねぎま方式」。

これは、本の中で名言と思える内容をノートに書き写し、その冒頭に⚪︎印を付記するというもの。また、それに対する思った事を続けて書き、これの冒頭には☆印を付すというもの。

著者の意見と自分の意見とが交互に連続して書かれるため、ねぎま方式と呼ぶのだ。

 

 

読書ノートというものが、どのようなものであり、どんな読書効果が期待できるかが論述されておりタメになった。

実際に読書ノートをとるのは、もう少し関連本を渉猟してから取り組んでみたいと考えている。

 

読書ノートを始めた際には改めて記事を書いてみたい。

『走狗』Twitterプレゼント企画に当選‼︎

書評 レビュー 司馬遼太郎 感想 伊東潤 サイン 色紙 走狗

伊東潤先生の公式アカウントで開催された、Twitterプレゼントキャンペーンに見事当選しました‼︎

 

この限定プレゼント企画はなんと、3名にしか当選しないキャンペーンです‼︎

 

しかも、連載当時から気になっていた作品のプレゼント企画だったので、嬉しいのなんのって(≧∀≦)

 

伊東潤先生、スタッフ一同様。

本当にありがとうございますm(_ _)m

 

 

で!当選した色紙がこちら‼︎

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色紙はミニサイズですが、行間からは溢れんばかりの熱量を感じます。

 

明治維新の光と闇」とは発売当日の公式ブログで、

維新政府の光と闇を描いたノンストップ明治ノワール
歴史解釈力とストーリー・テリング力が融合された伊東潤デビュー10周年の集大成的作品『走狗』を、ぜひご堪能あれ!

という触れ込みで紹介されていたものからの引用だと思います。おそらくは、伊東先生自らが考案されたキャッチフレーズかと。

 

 

『走狗』とは…

さて、『走狗』は薩摩藩の外城士から立身出世を果たし、大警視として日本の警察機構を創設した男、川路利良の物語。

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川路利良画像

 

本書のキャッチフレーズは「翔ぶが如くへの挑戦状‼︎」である。

 

この『翔ぶが如く』とは、明治初期を舞台にした司馬遼太郎の最長編作品(文庫全10巻)。

 

明治初期の太政官政府が、その基盤を確固としたものにせんとしていた時代を描いており、クライマックスが西南戦争の作品だ。

 

つまり、司馬遼太郎作品へ正々堂々たる挑戦状を叩きつけた作品が『走狗』なのである。

 

『走狗』は幕末〜有司専制時代における最新の研究成果が盛り込まれていたり、権力闘争をミステリー仕立ての構成で読ませる作品だ。

 

まさしく新時代の歴史小説と呼ぶに相応しい完成度を誇り、上記キャッチフレーズに見合う作品となっており、現代歴史小説の白眉としてオススメできる作品だ

 

まずは書店でお手に取って、1ページ目を読んでみてほしい。

 

物語の舞台の蛤御門の変へと誘われる事間違いない。

 

走狗

走狗

 

Men'sファッションバイヤーが教える 「おしゃれの法則」

書評 レビュー 感想 ファッション

YouTuberのないとーさんのチャンネルである“ないとーVlog”で「2月に読んで良かった本ベスト3がこちら! - YouTube」という動画がupされていた。

YouTuberであるないとーさんは、今年100冊の本を読むことを目標にしているようで、その2月分の読書記録の報告動画だ。

以下、動画のネタバレになってしまうが、2月に読んだ本の1位に『最速でおしゃれに見せる方法』を挙げられていた。

 

最速でおしゃれに見せる方法

最速でおしゃれに見せる方法

 

 

これに触発されて私は、同著者の別著『Men'sファッションバイヤーが教える 「おしゃれの法則」』を購入した。

 

Men'sファッションバイヤーが教える 「おしゃれの法則」

Men'sファッションバイヤーが教える 「おしゃれの法則」

 

私も 『最速でおしゃれに見せる方法』を買おうと思ったのだが、kindle版の方が特典もあり安いので、図版の多かった『Men'sファッションバイヤーが教える 「おしゃれの法則』の方を先に手に取った次第だ。

 

著者のファッションのスタンスはこうだ。

メンズファッションにおいて、「バランスをとること」は非常に大事な考え方です。何のバランスかというと、「ドレス」と「カジュアル」のバランスです。

著者は、日本人男性はアメカジスタイルに依存しすぎており、一般に子供体型である日本人男性がこれを着用すると子供っぽくなってしまうと言う。それを改善しておしゃれに見せる方法というのが、コーディネートにドレス要素を上手く取り入れるということなのだ。この点は本書の中で何度も語られる。

 

本書では、UNIQLO無印良品などの具体的なプチプラ商品を例に挙げながら、コーディネートの提案を行なっておりとても参考になった。

私は特に無印良品の「オーガニックコットン洗いざらしブロードシャツ」が気になったので早速買ってみようと思う。

 

メンズファッションの基礎を体系化し、学生からおじさん世代まで実践できるコーディネートが提案された良書だと感じた。バイヤーらしく、具体的なアイテムも紹介しておりすぐさま実践できそうだ。脚を細く見せるテクニックなども載っているので、興味を持たれた方は是非チェックして欲しい一冊だ。

光秀の定理 垣根涼介

書評 レビュー 感想 垣根涼介 明智光秀 織田信長

レンマ:定理(サンスクリット語
定理:ある理論体系において、その公理や定義をもとにして証明された命題。
そしてそれ以降の、推論の前提となるもの。
(例)ピタゴラスの定理

以上は『光秀の定理』単行本冒頭に掲載されていた定理の説明だ。文庫版では削除されている。代わりになのか、単行本にも掲載されていたのかは判らぬが、文庫版ではチャールズ・ダーウィンの『種の起源』からのものと思われる引用が掲載されている。

最も強き者、最も賢い者が生き残るわけではない。

唯一生き残る者、

それは、変化できる者である。

チャールズ・ダーウィン 

 

光秀の定理 (角川文庫)

光秀の定理 (角川文庫)

 

 さて『光秀の定理』は明智十兵衛光秀の人間性を、創作人物である兵法者 新九郎、破戒僧 愚息との交流を通して考察してみせた歴史小説である。

 

愚息は辻博打を活計としている破戒僧だ。この辻博打が本作のタイトルでもある定理の 「モンティ・ホール問題」を使用したものなのだ。寡聞にして、私は「モンティ・ホール問題」を初めて知ったが、ジレンマやパラドックスとも称される有名な確率の問題のようだ。

 

さて、レンマ(lemma)とはサンスクリット語では定理とされる。現在では特に、数学的には補助定理・補題ともいう。これは、定理の証明を補助する結果を意味するものであり、定理の区分の一種をいうようだ。また哲学においては、四句分別と漢訳されるインド論理学のひとつであるという。

登場人物である愚息の経歴から言って、後者の意味も関係するかとも考えたが、愚息が私淑する釈尊は四句分別を否定したという。そのため、レンマとはタイトル通りシンプルに現在一般に言う「定理」と捉えて良いようだ。

 

本作は“定理”という、理系的な思考法で戦術や戦国の世そのものを捉えた作品であり、他の作品とは一線を画す。また物語の最後には、定理から戦国の世の理も導き出される仕掛けが施されている。

 

合戦シーンなどはないが、定理を絡め、光秀の人間性に深く切り込んだ興味深い作品だ。

徳川がつくった先進国日本

書評 レビュー 感想 磯田道史 江戸時代

戦国期から江戸期への変化は、徳川幕府が開府して武断政治から文官政治へと移行したというような、まるで一朝一夕になったかの如くに語られる。しかし勿論そんなはずはない。それを平易な文章で紹介しているのが『徳川がつくった先進国日本』である。

徳川がつくった先進国日本 (文春文庫)

徳川がつくった先進国日本 (文春文庫)

 

 文章も平易ながら、ページ数も156頁ととてもコンパクトな文庫なので、このテーマに興味を持った方は是非とも手にとってもらいたい一冊だ。

 

さて、江戸人は飢饉地震、噴火などに代表される天災や、ロシアからの対外的な圧力などの危機に晒されて、それをひとつひとつ丁寧に乗り越えてきた。これにより、我々がイメージする繁栄した江戸の時代があったのだと著者は言う。

そして、その危機を乗り越える過程で、国防意識の高まりや、民命の尊重などの現在にも通じる理論が醸成されていったのだそうだ。

 

現代においても、地震津波などの天災や、歴史の浅い科学技術の原子力発電の事故による放射能汚染など、危機が多く存在する。これらに対処するに当たって、この江戸人が経験した歴史が参考になるのではないか、というのが著者の持論だ。その中で最も重要だと説く一文を以下に引用する。

目の前の問題が大変だからといっても、百年の計、すなわち長期的な視点を失わないようにしなければなりません。それが、幾多の危機を乗り越えてきた江戸時代の人びとの生き方から学びとることができる、最大・最高の教訓だと、私は思います。

江戸時代の人々は、その成否は置くとしても長期的な視点を持って行政に当たったのだという。その長期的な視点こそが「愛民」という視座を与え、天賦人権論の萌芽のようなものを見出していたのだろう。

 

点で学んでいた江戸時代の歴史が、本書によって線で結ばれた。特に歴史を学ぶ事の意味を、全体を通して実感できる構成になっていたように思う。“今”は過去の積み重ねである事を忘れずに、歴史に学び、個人でも長期的な視点を失わないようにと思わずにはいられない良書であった。