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Book review 〜春風駘蕩〜

気に入った本の書評・感想や本関連の話題を書いていきたいです。

鎌倉五山巡り 壽福寺

壽福寺

 正治2年(1200)北条政子源義朝(頼朝の父)の居館跡に創建した。

歩く地図鎌倉・横浜散歩 2018―古都と港町歩きの決定版! (SEIBIDO MOOK)より引用

 

壽福寺へ

円覚寺を後にして、また建長寺方面へと向かいます。

途中、右に折れて亀ケ谷坂を登り、山を越えました。

かなり勾配のキツい坂で、ここでも息が切れかかりました。

 

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亀ケ谷坂は亀ケ谷切通しとも呼ばれる、鎌倉七口のひとつです。

山ノ内から扇ガ谷方面へと抜けました。

 

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亀ケ谷坂を下ると、 岩舟地蔵堂がありました。

源頼朝の娘大姫を供養する地蔵堂と伝えられます。

 

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ここから少し進むと、横須賀線沿いに出ます。

線路沿いを鎌倉駅方面へ少し進むと壽福寺があります。

 

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壽福寺に到着です。

壽福寺では一般の日は拝観を行っておらず、写真の総門から仏殿に至る参道、そして裏の北条政子源実朝のお墓のみ拝観することができます。

 

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参道は苔むしており、静かな雰囲気でした。

 

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参道から仏殿を遠望できます。

 

通常はここまでしか拝観できませんが、御朱印を頂く際には右に入り寺務所へと向かいます。

ここの御住職は、ネット上でもかなり有名な方のようです。

 

寺務所にはインターホンがあり、鳴らすと御住職の奥様らしき方が左側のガラス戸から顔を出してくださいました。

「御本尊の御朱印を頂きたい」旨を伝えると、丁度御住職がお務めの最中だったようで、書き置きの御朱印を渡してくれようとしました。

しかし、生憎御本尊の御朱印がきれており、奥様に代筆して頂ける事になりかけたところ、御住職がお務めを終えられ奥に顔を出されました。

そして直々に御朱印を書いていただける運びになりました。

 

かなり緩慢な動きでこちらに向かって歩いて来られ「御本尊でいいのね?」と一言発した後、流麗な筆使いで御朱印を書いて頂けました。

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鎌倉五山を巡る中でも、御住職直筆の御朱印は壽福寺のみであり、とても貴重なものを拝受できました。

 

 

北条政子源実朝のお墓へ

総門まで戻り、向かって左側の小径を進んで行くと裏側の墓地に出ます。

 

墓地の階段を登って右側の一番奥に北条政子源実朝のお墓がありました。

 

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向かって左が北条政子、右が源実朝のお墓のようです。

 

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北条政子の墓(五輪塔

 

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 源実朝の墓(五輪塔

 

やぐら内に五輪塔があります。

 

お二人に手を合わせ暫しその静けさに浸り、壽福寺を後にしました。

鎌倉五山巡り 円覚寺

円覚寺

三門・仏殿・方丈が一直線に並び、その周囲に17の塔頭が並ぶ臨済宗円覚寺派大本山。弘安5年(1282)に8代執権の北条時宗蒙古襲来の戦死者を弔うため、宋から無学祖元禅師を招いて創建し、鎌倉五山の第二位に列せられて大いに栄えた。

歩く地図鎌倉・横浜散歩 2018―古都と港町歩きの決定版! (SEIBIDO MOOK)より引用

 

円覚寺

建長寺を後にして、北鎌倉駅前まで来た道を戻ると駅前に円覚寺が見えます。

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拝観料は¥300です。

ここでも拝観前に御朱印帳を預け、番号札と引き換えて頂きました。

いざ、拝観です。

 

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まず見えてくるのは大きな三門です。

楼上には十一面観音、十六羅漢像などが安置されているそうです(拝観はできません)。

 

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その直線上には、仏殿があります。

円覚寺の御本尊、宝冠釈迦如来をお祀りしている建物です。

 

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更に先には方丈が。

方丈は本来、住職の居間として使われる建物ですが、現在は各種法要、坐禅会や説教などに使われているとの事です。

 

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方丈は内部も拝観できます。

 

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中から裏の方へまわると、美しい庭園を見ることができました。

池には小さな噴水もあり、やや近代的な雰囲気のある庭園です。

 

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方丈の横には妙香池があります。

こちらも噴水がありました。

後ろに見える塔頭と相まって、とてもいい雰囲気が感じられます。

 

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更に奥に進むと、北条時宗公の御廟所もありました。

 

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戻って来て、ちょうど三門と仏殿の中間ほど。

総門から見て右側に国宝 洪鐘(おおがね)があります。

鳥居を潜り、洪鐘道を進みます。

 

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鐘楼は年季が入っているように見えます。

洪鐘自体は普通に見られる鐘と同じくらいの大きさに感じましたが、関東最大(259.5cm)と

の事でした。

 

 

小学生の遠足で訪れた時には曇空で、薄暗いイメージが強かった円覚寺さんですが、改めて晴天の時に訪れてみると違った雰囲気を味わえました。

洪鐘なども、普通は見過ごしそうな場所にありますが、一見の価値アリだと思います。

 

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最後に番号札と御朱印を引き換えます。

御朱印帳を受け取った後「念のため中を確認してみてください」と声を掛けて頂けるなど、丁寧な対応が印象的でした。

 

次は山を越えて、鎌倉五山第三位 壽福寺へと向かいます。

 

鎌倉五山巡り 建長寺〜半僧坊〜

半僧坊とは

境内の一番奥、約250段の石段を登った勝上献(本来、献の字に山冠)の中腹に建つ建長寺の鎮守。明治23年(1890)に静岡の奥山方広寺から勧請した半僧坊大権現をまつっている。

歩く地図鎌倉・横浜散歩 2018―古都と港町歩きの決定版! (SEIBIDO MOOK)より引用

 

半僧坊へ

方丈の裏手に歩いて行くと、半僧坊へ抜ける道があります。

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途中にはこんな案内碑も。

半僧坊へ至る道はその名も「半僧坊道」と言うそうですね。

 

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このような道をてくてく歩いていきます。

 

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途中、右手にやぐらのようなものが見えたので近づいてみると、抜け道でした。やぐらを掘り進めて貫通させたのでしょうか?

 

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 さて。更に歩いて行くと狛犬が見えてきます。半僧坊は建長寺の鎮守“社”なので、神社の体裁をとっているのですね。

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少し進むと半僧坊大権現碑が。
左手に見えるのは達磨像です。

 

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鉄製の鳥居。
形状は靖国鳥居でしょうか。
貫(ぬき)(横向きに取り付けられている下側の材)の断面が長方形になっているのが特徴の鳥居です。
本来、靖国神社や招魂社にある鳥居なのですが。
 

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もう少し進むと、また狛犬があります。

 

そしてここから相当な段数の階段を登っていきます。

正直言ってナメてました。

この程度なら余裕だろうと思って挑んだら、運動不足が祟って息切れしてしまいました。

 

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息切れを堪えて、歩を進めると手水舎があります。

そこで目を上に転ずると、烏天狗の群れが!

実はこの写真に収まりきらない程の烏天狗がいるのです。

この最後の階段を登りきると、半僧坊に至ります。

 

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社殿の少し下には、天狗の団扇を彫ったと思わしき岩もありました。

 

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登りきると絶景が待っています。

画像中央やや右手に、建長寺の方丈らしき建物が小さく見えます。

かなり登ってきましたね。

 

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社殿でお参りを済ました後、右隣にある社務所で御朱印を頂きました。

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帰りはまた、天狗の間を縫って山を下っていきます。建長寺さんの御朱印も忘れずに番号札と引き換えます。

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 次回は円覚寺に向かいます。

 

鎌倉五山巡り 建長寺

建長寺へ

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スタートは北鎌倉駅です。

 

改札を出て、鎌倉五山第二位の円覚寺を左手に見つつ、踏切を渡り国道21号に出て鎌倉駅方面に向かいます。

 

そこから約15分。距離にして1km程度の所に建長寺はあります。

 

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北鎌倉方面から行くと、駐車場を抜けて総門に向かえます。

 

総門を潜ると右手に拝観受付。

拝観料は大人¥500でした。

 

建長寺御朱印をお受けする場合には、拝観受付の向かいにある御朱印所に御朱印帳を預けて境内を拝観します。御朱印帳を番号札と引き換えいざ拝観です。

 

 

鎌倉五山とは

建長寺拝観レポの前に、そもそも鎌倉五山とは何かを説明しておきましょう。

 

鎌倉五山とは、5代執権北条時頼の時代に中国の五山の制に倣い、本邦でも臨済宗の寺院を格付けしたものです。

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「五山之上」と呼ばれる最高位に南禅寺が位置し、その下の寺格に鎌倉五山京都五山が置かれています。

 

 

建長寺とは

さて、建長寺です。

三門・仏殿・法堂・方丈がほぼ一直線に並び、そのまわりを塔頭が囲む臨済宗建長寺派大本山。5代執権北条時頼が宋の高僧・蘭渓道隆(大覚禅師)を開山に迎え、建長5年(1253年)に日本初の本格的禅寺として創建。

歩く地図鎌倉・横浜散歩 2018―古都と港町歩きの決定版! (SEIBIDO MOOK)より引用

 

 

建長寺を歩く

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拝観受付を済ませ、歩をすすめると立派な三門が目に留まります。
現在の三門は1775年に再建されたものです。

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 扁額には建長興国禅寺の文字が。

こちらは、後深草天皇の宸筆との事。

 

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こちらは法堂の天井画「雲龍図」。

建長寺創建750年記念事業により描かれたものです。

 

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方丈の手前には唐門もありました。

 

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方丈では学生さんが座禅を組んでおられました。その方丈をぐるりと反対側に回り込むと庭園があります。

この庭園は、 蘸碧池(心字池)を中心にした池泉庭園。

蘭渓道隆(大覚禅師)の作庭と伝わります。

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京都に多くみられる枯山水とは異なり、鎌倉時代を彷彿させる池泉庭園であり、こちらはこちらで趣があります。庭園の見事さからか、自然と静寂が場を支配していました。

 

 

 

簡単ですが、建長寺のレビューは以上となります。

次回は建長寺の鎮守社・半僧坊を紹介したいと思います。

鎌倉五山巡りをしてきました

鎌倉五山

近頃、全12巻の超長編小説をメインに読んでいるため、中々ブログのネタがありません。

 

なので、今回は先日行った鎌倉五山巡りについて書かせて頂こうかと思います。

 

まず、鎌倉五山巡り前に購入したガイドブック(地図)がこちら。

 

 私は、京都版も持っているのですが、何せ地図が詳細で、石碑関係もしっかり地図上に網羅されているという歴史好きには便利なガイドブックです。

オシャレなカフェやお土産もたくさん載っていて、見てるだけでも楽しい一冊です。

 

今回はこのガイドブックを参照しながら、鎌倉五山を第一位から第五位まで順に巡り、御朱印を拝受しました。

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右より第一位から順に、建長寺円覚寺、壽福寺 、浄智寺浄妙寺です。

 

GPSロガーの軌跡を見て頂くとわかると思うのですが、かなり無駄な動きが多いです。

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というのも、鎌倉五山は上図のような位置関係をしているため、同じ道を何度も往復しなければなりませんでした。

 

切り通しを見たくて遠回りした所も多々。

 

また、鎌倉宮鶴岡八幡宮などにも寄り道したので、上図のような複雑な軌跡となっています。

 

昨今の校外学習

当日は小・中学生の校外学習がとても多かったです。昨今の御朱印ブームの影響でか、小中学生も御朱印帳を持参して御朱印をお受けしていました。

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鶴岡八幡宮御朱印所では列ができており、神職の方は延々御朱印をお書きになられていました。数時間後にもう一度通りかかった時も同じ神職さんだったので、1日にかなりの量をお書きになられているのではないでしょうか…。特に今のGWの時期ともなると。

 

また、鶴岡八幡宮のアイドル(?)タイワンリスも相変わらずの人気っぷりで、擬宝珠に乗り、カメラ目線で写真撮影に応えていました。校外学習の生徒は大興奮必至。

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 外来種なので、喜ばしい事では決してありませんが、今や鶴岡八幡宮の名物の一つとなってしまっていますね。

 

また、鶴岡八幡宮参拝中に校外学習の(おそらく)小学生に写真を頼まれたのですが、渡されたのがなんとiPad

時代の変化を感じました。

iPad以外にもデジタル一眼を持っている生徒も多く、フィルムカメラ時代に校外学習を行なっていた私としては時の流れを感じざるを得ません。

ただ、写真を撮った後に「ありがとうございました!」と帽子を取って元気に謝意を述べられた時には、ソフトは変わっても変わらぬハードがあるものだなぁ、などとしみじみ思ってしまいました。

 

さて、鎌倉五山巡りの雑感を述べてしまいましたが、次回より第一位 建長寺 から順にブログにupしていきたいと思いますのでよろしくお願いします。

黎明に起つ 伊東潤

はじめに

『黎明に起つ』は、巷間では北条早雲の名で知られる、伊勢新九郎盛時(早雲庵宗瑞)の一代記である。 

黎明に起つ (講談社文庫)

黎明に起つ (講談社文庫)

 

著者には先に刊行された、宗瑞を狂言回しに仕立てた『疾き雲のごとく (講談社文庫)』という連作短編集があるが、ここから更に新説を反映し、重厚感が増した作品となっている。

 

北条早雲とは

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 北条早雲は長く、伊勢の素浪人から身を起こし、下克上を成し遂げた人物として認知されていた。しかし現在では備中伊勢氏の出自であり、室町幕府の申次衆であったことが判っている。早雲は畿内明応の政変と呼応し、駿河今川氏の内訌の調停に成功したことで今川氏の家宰的立場となり、独自に伊豆、小田原と版図を広げ、最終的には相模全土を併呑するに至った。

また享年を88とされていたが、現在では64というのが有力視されている。

 

 

『黎明に起つ』を知ったきっかけ

私が『黎明に起つ』を知ったのは、海道龍一郎著『早雲立志伝』の解説を読んだ時であった。

早雲立志伝 (角川文庫)

早雲立志伝 (角川文庫)

 

なんと、同時期に早雲モノの作品を書いているにも関わらず、海道氏は伊東氏に解説を依頼しているのだ。伊東氏は海道氏に『黎明に起つ』の上梓を控えていることを伝えたが、海道氏は快諾したという。歴史小説家同士の粋なエピソードだ。

その時から『黎明に起つ』は読みたいと思っていたのだが、結果的に文庫化を待つことになってしまった。ただ、文庫化にあたってリーダビリティを高めるなどのリライトが大幅に成されたそうなので、結果的には文庫化を待って当たりだったようだ。

関東戦国史というと戦史が混迷極まり、非常に読みにくくなりがちだが、リライトの結果か、とても読みやすかった。そもそも情報量が多く読みにくいというのは、熟読を好まない読者層の言であり、伊東潤氏の小説を評価するのに「情報量が多く読みにくい」とするのは筋違いであるだろう。

 

 

読んでみて

『黎明に起つ』には中世武士のダンディズムを湛えた長尾景春や三浦道寸などの初老の人物が登場する。これが非常に魅力的に描かれており、面白く読めた。

宗瑞は「民の楽土を築く」というビジョナリー型の人物として描かれおり、最期までそのビジョンを抱き続ける。果ては後代にビジョンを託し、五代に亘りビジョナリー型の戦国大名として関東に覇を唱える事になったのは、その祖、早雲庵宗瑞の手腕に拠るものが大いにあったのだろう。その手腕には感服せざるを得ない。そういう点で早雲庵宗瑞は、私の理想とする人物の一人である。

 

太郎坊 幸田露伴

あらすじ

主人公は丈夫づくりの薄禿の男。ある真夏の、日の傾く頃、細君に酌をして貰い、いい気分で杯を重ねていた。しかしほろ酔いになったところで、手にしていた猪口を取り落として割ってしまう。この猪口は太郎坊と呼んで大事につかっていたものであった。細君が新しい猪口を持ってきても、主人は太郎坊を眺め「もう継げないだろうか」などと未練を言う。実はこの太郎坊、主人の若い頃に想い人の父親に貰ったものであり、その想い人との思い出そのものであった。主人は未練を断ち切るように、細君に太郎坊の来歴を語り始めた…

幸田露伴 (ちくま日本文学 23)

幸田露伴 (ちくま日本文学 23)

 

 

読んでみて…

「…ハハハハ、どうもちッと馬鹿らしいようで真面目では話せないが。」

と主人は一口飲んで、
「まあいいわ。これもマア、酒に酔ったこの場だけの坐興で、半分位も虚言(うそ)を交まぜて談(はなす)ことだと思って聞いていてくれ。ハハハハハ。… 」

そう言って主人は、太郎坊の来歴を語り出した。「虚言を交ぜて」と主人は言うが、これは過去の色恋を細君に話すのが恥ずかしいが故に、目くらましに投げかけた言葉であろう。

上記引用文から後は、殆どが主人の独白となる。引用文からも十分に伝わると思うが、露伴お得意のテンポの良さと歯切れの良さで、読みやすく、古さを感じさせない。古さを感じるとすれば、若き主人が想い人を太郎坊を使って揶揄うくだり。明治の男女の距離感が伝わる微笑ましい一文であった。

 

太郎坊はわずか10ページ程度の短編である。

しかし、その中には露伴の筆の妙が凝縮されている(露伴が好きな中国思想的な要素や、伝奇作品ではないが)。むしろ、色恋の甘酸っぱさを薄禿の主人に託し、太郎坊を介して、婉曲的に描いたところにこの作品の価値や面白さがあるのではないだろうか。