Book review 〜春風駘蕩〜

気に入った本の書評・感想や本関連の話題を書いていきたいです。

乃木希典 福田和也

大きな仕事よりも、寧ろ人格によって、その時世に非常な貢献をする人が、三十年に一度か、六十年に一度出現することがある。

スタンレー・ウォシュバン『乃木』

 

乃木希典 (文春文庫)

乃木希典 (文春文庫)

 

 

概説

本書は10年前に書かれた乃木希典の評伝である。

 

10年前が日露戦争開戦100年だっというので、今年は開戦110年ということになる。

 

現在、司馬遼太郎乃木希典精神主義者として、そして軍事面では愚将であるように造形したことから、一般的な認識がそのようなものなってしまっている。

本書では、そうやって貶められた乃木希典像の再考を試みている。

しかし本書では軍事面の考察は避けているので、司馬氏のそれを認めつつ、精神主義者としての乃木を、立派な人=人格者として捉え、その重大性・偉大性という点に力点をおいて論じるにとどまっている。

そのため、新たな乃木希典像の提示という段階にまでは踏み込めていない印象だ。

 

乃木のイメージ

本書でも乃木の事は、

乃木は戦下手のスタイリストである、というのが通り相場のようだ。歴史好きの戦争談義からテレビ、マンガにいたるまで、恰好はつけるけれど実戦ではからきしという乃木像を反復している。 p.25

というように、一般の乃木のイメージを規定している。

 

また、これは明治期の乃木のイメージにも通底するもののようだ。

明治41年8月号の『中央公論』において、乃木が特集された時、三宅雪嶺は、

戦略に於て大将に優つたものは他に在らう、が司令官として人格の必要な事は、大将が後の人に之を示している、人格と伎倆と往々相伴はぬ。 p.38

と書いている。

 

乃木希典

如何に立派な人となりしか

本書では、司馬があまり触れていなかったドイツ留学についてなどにも触れられている。

ドイツ留学にによって、何にどのように感化されたか(乃木の勘違いではあったが)が論じられており興味深く読めた。

 

乃木はベルリンで、最晩年のモルトケと面会している。

中略

略帽を被り、黒のマントを肩にかけて散歩する姿は、確かに風格があったが、モルトケの簡素は、あくまでその合理主義の発露だった。今日、残る写真を見るかぎり、その居室は重厚な装飾がなされており、けして簡略なものではない。師団長室の赤絨毯をどけさせた乃木と同列に論じることはとても出来ないのだが、それでもモルトケの簡素を、合理主義ではなく徳義の発露としてとったのであれば、それが誤解であるとしても、乃木なりの才能を発揮したということになるだろう。 p.116

 

乃木は徳義の発露として、制服を着ることに着目する。制服を着ることで、常に閲されているという意識を持ち、自身を徳義の塊であるように強いていたという。

 

読んでみて

司馬遼太郎が嫌乃木であったのに対し、著者は親乃木という立場が全体を通して感じられた。

しかし、それは乃木自身の人物像としてはほぼ共通する認識の下であったと感じる。同じ人物像に対し、ここまで評価が分かれるのは、人間の奥深さと言えるであろう。

乃木希典という人間が、なぜここまで信奉されたのか。その答えのひとつが本書では提示されていたように思う。

 

最後に、乃木の軍事面が本当に拙かったのか、やはりそこがとても気になるところだ。

 

 

殉死 司馬遼太郎

構成

『殉死』は小説ではない。

二部構成で、乃木希典の人物像を浮き彫りにしようと試みた論考だ。

司馬さんは飽くまで「小説以前の覚書き」であるというが、論考と捉えて良いだろう。

 

第1部「要塞」では、西南戦争及び旅順攻略に焦点を当てた乃木希典の半生を綴る。

第2部「腹を切ること」では、乃木希典の思想を考察し、殉死に至る道程、殉死に込めた警世が論じられている。

新装版 殉死 (文春文庫)

新装版 殉死 (文春文庫)

 

 

 

司馬遼太郎の考える乃木希典

乃木希典山鹿素行『中朝事実』という皇室絶対思想の書物をバイブルとし、陽明学的な行動様式を好む人物として論じられる。

 

また司馬作品に頻出する「詩の中に身を置いた人物」であり、詩的な人生を渇望し、自身が詩的に高揚する行動を選択する人物であるという。

「自身が精神の演者」であるということが、陽明学派的であり、詩人的であるという事のようだ。

 

例えば詩的=劇的な行動を以って意思表示を行なっている。

自然死ではない劇的な死を希求し、警世を試みたという点は有名であろうが、婚姻に関してもそうだというのだ。

乃木は薩長閥の対立をみかね、自身は長閥であるにも関わらず薩摩の女なら嫁に貰うと言い、薩長の抗争に警鐘を鳴らそうとしたと司馬さんは考察している。

 

無能?狂人?

司馬さんは、乃木希典を軍事的には無能であると批判しているとするのが、一般的な見解だ。

この『殉死』に至っては、軍事的な専門家から見れば無能どころか、狂人じみているとの痛烈な批判を乃木に浴びせている。

 

この批判に関しては第二次大戦を経験している司馬さんが、皇室絶対主義的な乃木希典≒昭和期の軍というアナロジーで論じているように感じた。

そのため、必要以上に痛烈な批判となり本作に通底する乃木批判が展開されたのだろう。

 

しかし、後に乃木神社主祭神となったことからも推察されるように、乃木希典は精神的な象徴であった。それは、人間乃木希典が魅力的人物であったということであろう。乃木希典という生き方に、明治を生き抜いた人間は郷愁のようなものを感じ取っていたのではないだろうか。

鎌倉五山巡り 浄妙寺

浄妙寺

鎌倉五山の内、第一位〜第四位までは北鎌倉駅周辺にあるのですが、第五位浄妙寺だけは鎌倉駅よりはるか先にあります。

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浄智寺から道なりに鎌倉駅方面に向かい、鶴岡八幡宮を通り抜けてさらに先へ進みます。

 

鶴岡八幡宮までの道は、小学生の時の校外学習で歩いた道であると途中で気づき、少し嬉しくなりました。

 

しかし、殆ど覚えていませんね。

 

鶴岡八幡宮へ入ったところだけ、記憶していました。

 

当時は明月院から鶴岡八幡宮まで歩いているため、この道しかないはずなので間違いないでしょう。

 

鶴岡八幡宮を横切り、さらに進みます。

 

鎌倉宮報国寺を超え、ようやく浄妙寺に到着しました。

 

浄妙寺

文治4年(1188)に源頼朝の重臣・足利義兼が創建した極楽寺が始まり。元弘元年(1331)に足利尊氏が父・貞氏を葬り、浄妙寺と改めたと伝わる。鎌倉五山の第五位で、盛時には塔頭23を数えた。

歩く地図鎌倉・横浜散歩 2018―古都と港町歩きの決定版! (SEIBIDO MOOK)より引用

 

いよいよ浄妙寺に到着です。

総門の横には浄妙禅寺の文字が見えます。

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総門を潜り、拝観料¥100と御朱印帳を預け、いざ拝観です。

 

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境内は手入れが行き届いており、梅・椿・桜・ボタン・サルスベリなどの樹木がとても綺麗でした。

 

境内奥の高台には「石窯ガーデンテラス」というカフェレストランがあり、この庭園を眺めながら食事が楽しめるようです。

 

拝観している時にも何組かのカップルが訪れていたので、有名なスポットのようですね。

 

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 また、境内には喜泉庵というお休み処もあり、枯山水庭園が前面に広がっていました。

 

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 本堂の裏手に回ると墓地があり、足利尊氏の父・貞氏の墓がありました。

 

最後に、受付で御朱印を受け取るのを忘れずに浄妙寺を後にしました。

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鎌足稲荷神社へ

 最後に、鎌倉五山とは関係ありませんが、鎌足稲荷神社へも足を運びました。

 

浄妙寺総門手前の道を右手に進むと、鎌足稲荷神社へ登る階段があります。

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登っていくと鳥居と小さな祠がありました。

ここでも参拝を。

 

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祠の裏手にはやぐらが。

 

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 何の前知識もなく訪れましたが、なんと一説には鎌足稲荷神社の由緒は「鎌倉」の語源に関係しているそうです。

 

 

 

以上、鎌倉五山巡りでした。

円覚寺以外初めて訪れた寺院であり、また寺院で御朱印を拝受したのは3回目だったので、とても新鮮な印象を受けたひとり旅でした。

 

また鎌倉に訪れた際には、改めて足を運んでみたいと思える寺院ばかりでした。

鎌倉五山巡り 浄智寺

源氏山を登る

壽福寺を後にし、暫し足を止めて地図を眺めます。

「源氏山経由で浄智寺方面に出られるのではないか?」と思い立ち、壽福寺横の源氏山に至る山道を登りました。

 

少し進むと、なんと太田道灌公のお墓が。

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意外な出会いに喜びを覚えつつ、先へと進みます。

 

丁度、遠足だったのでしょうか。

前方からは幼稚園児が源氏山を下りてきていて、狭い道のために譲りあうのに一苦労しながら源氏山を登りました。

 

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頂上には頼朝像があります。

 

ここでハイキングコースに出れば良かったのですが、切通しに導かれ、化粧坂切通しを下りてしまいました。

 

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こちらは亀ケ谷坂切通しと比べ、本格的に切通しとして残っています。

途中、湧き水でぬかるんだ道を慎重に歩きながら山を下りました。

 

結局先ほどの岩舟地蔵堂に出てしまい、行きと同様に亀ケ谷坂を登り、ゼェゼェ言いながら北鎌倉駅方面へと向かいました。

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浄智寺

北条宗政の菩提を弔うため、弘安4年(1281)に宗政夫人と子の師時(10代執権)を開基として創建。高峰顕日や夢窓疎石ら名僧を迎え、鎌倉五山の第四位として栄えた。

歩く地図鎌倉・横浜散歩 2018―古都と港町歩きの決定版! (SEIBIDO MOOK)より引用

 

北鎌倉駅より少し手前(鎌倉駅側)に浄智寺はあります。

 

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浄智寺に到着すると、まず放生池がありました。

奥に見えるのは総門です。

 

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総門をくぐり、右手に見える受付で 拝観料¥200を支払います。

前方に視線を移すと、意匠が特徴的な三門が目に入りました。

上層に梵鐘を吊るした鐘楼門式と呼ばれる形式の三門のようです。

 

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 三門をくぐり抜けると、右手に曇華殿と呼ばれる仏殿があります。

堂内には御本尊の三世仏坐像が祀られていました。

 

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道が右手に折れた所には古びた書院があり、とても雰囲気の良い庭園が前面に広がっていました。

 

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 書院・庫裏をぐるりと回るかたちで道沿いに歩いていくと、浄智寺で最も有名であろう布袋尊があります。

おなかを撫でると元気がもらえると言われているそうで、私も例に漏れず撫でて来ました。

 

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最後に朱印受付で、御朱印を拝受しました。

仏殿の名称である「曇華殿」が目を引く御朱印です。

 

 

そして浄智寺を後にし、鎌倉五山第五位浄妙寺へと向かうのでした。

鎌倉五山巡り 壽福寺

壽福寺

 正治2年(1200)北条政子源義朝(頼朝の父)の居館跡に創建した。

歩く地図鎌倉・横浜散歩 2018―古都と港町歩きの決定版! (SEIBIDO MOOK)より引用

 

壽福寺へ

円覚寺を後にして、また建長寺方面へと向かいます。

途中、右に折れて亀ケ谷坂を登り、山を越えました。

かなり勾配のキツい坂で、ここでも息が切れかかりました。

 

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亀ケ谷坂は亀ケ谷切通しとも呼ばれる、鎌倉七口のひとつです。

山ノ内から扇ガ谷方面へと抜けました。

 

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亀ケ谷坂を下ると、 岩舟地蔵堂がありました。

源頼朝の娘大姫を供養する地蔵堂と伝えられます。

 

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ここから少し進むと、横須賀線沿いに出ます。

線路沿いを鎌倉駅方面へ少し進むと壽福寺があります。

 

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壽福寺に到着です。

壽福寺では一般の日は拝観を行っておらず、写真の総門から仏殿に至る参道、そして裏の北条政子源実朝のお墓のみ拝観することができます。

 

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参道は苔むしており、静かな雰囲気でした。

 

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参道から仏殿を遠望できます。

 

通常はここまでしか拝観できませんが、御朱印を頂く際には右に入り寺務所へと向かいます。

ここの御住職は、ネット上でもかなり有名な方のようです。

 

寺務所にはインターホンがあり、鳴らすと御住職の奥様らしき方が左側のガラス戸から顔を出してくださいました。

「御本尊の御朱印を頂きたい」旨を伝えると、丁度御住職がお務めの最中だったようで、書き置きの御朱印を渡してくれようとしました。

しかし、生憎御本尊の御朱印がきれており、奥様に代筆して頂ける事になりかけたところ、御住職がお務めを終えられ奥に顔を出されました。

そして直々に御朱印を書いていただける運びになりました。

 

かなり緩慢な動きでこちらに向かって歩いて来られ「御本尊でいいのね?」と一言発した後、流麗な筆使いで御朱印を書いて頂けました。

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鎌倉五山を巡る中でも、御住職直筆の御朱印は壽福寺のみであり、とても貴重なものを拝受できました。

 

 

北条政子源実朝のお墓へ

総門まで戻り、向かって左側の小径を進んで行くと裏側の墓地に出ます。

 

墓地の階段を登って右側の一番奥に北条政子源実朝のお墓がありました。

 

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向かって左が北条政子、右が源実朝のお墓のようです。

 

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北条政子の墓(五輪塔

 

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 源実朝の墓(五輪塔

 

やぐら内に五輪塔があります。

 

お二人に手を合わせ暫しその静けさに浸り、壽福寺を後にしました。

鎌倉五山巡り 円覚寺

円覚寺

三門・仏殿・方丈が一直線に並び、その周囲に17の塔頭が並ぶ臨済宗円覚寺派大本山。弘安5年(1282)に8代執権の北条時宗蒙古襲来の戦死者を弔うため、宋から無学祖元禅師を招いて創建し、鎌倉五山の第二位に列せられて大いに栄えた。

歩く地図鎌倉・横浜散歩 2018―古都と港町歩きの決定版! (SEIBIDO MOOK)より引用

 

円覚寺

建長寺を後にして、北鎌倉駅前まで来た道を戻ると駅前に円覚寺が見えます。

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拝観料は¥300です。

ここでも拝観前に御朱印帳を預け、番号札と引き換えて頂きました。

いざ、拝観です。

 

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まず見えてくるのは大きな三門です。

楼上には十一面観音、十六羅漢像などが安置されているそうです(拝観はできません)。

 

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その直線上には、仏殿があります。

円覚寺の御本尊、宝冠釈迦如来をお祀りしている建物です。

 

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更に先には方丈が。

方丈は本来、住職の居間として使われる建物ですが、現在は各種法要、坐禅会や説教などに使われているとの事です。

 

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方丈は内部も拝観できます。

 

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中から裏の方へまわると、美しい庭園を見ることができました。

池には小さな噴水もあり、やや近代的な雰囲気のある庭園です。

 

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方丈の横には妙香池があります。

こちらも噴水がありました。

後ろに見える塔頭と相まって、とてもいい雰囲気が感じられます。

 

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更に奥に進むと、北条時宗公の御廟所もありました。

 

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戻って来て、ちょうど三門と仏殿の中間ほど。

総門から見て右側に国宝 洪鐘(おおがね)があります。

鳥居を潜り、洪鐘道を進みます。

 

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鐘楼は年季が入っているように見えます。

洪鐘自体は普通に見られる鐘と同じくらいの大きさに感じましたが、関東最大(259.5cm)と

の事でした。

 

 

小学生の遠足で訪れた時には曇空で、薄暗いイメージが強かった円覚寺さんですが、改めて晴天の時に訪れてみると違った雰囲気を味わえました。

洪鐘なども、普通は見過ごしそうな場所にありますが、一見の価値アリだと思います。

 

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最後に番号札と御朱印を引き換えます。

御朱印帳を受け取った後「念のため中を確認してみてください」と声を掛けて頂けるなど、丁寧な対応が印象的でした。

 

次は山を越えて、鎌倉五山第三位 壽福寺へと向かいます。

 

鎌倉五山巡り 建長寺〜半僧坊〜

半僧坊とは

境内の一番奥、約250段の石段を登った勝上献(本来、献の字に山冠)の中腹に建つ建長寺の鎮守。明治23年(1890)に静岡の奥山方広寺から勧請した半僧坊大権現をまつっている。

歩く地図鎌倉・横浜散歩 2018―古都と港町歩きの決定版! (SEIBIDO MOOK)より引用

 

半僧坊へ

方丈の裏手に歩いて行くと、半僧坊へ抜ける道があります。

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途中にはこんな案内碑も。

半僧坊へ至る道はその名も「半僧坊道」と言うそうですね。

 

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このような道をてくてく歩いていきます。

 

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途中、右手にやぐらのようなものが見えたので近づいてみると、抜け道でした。やぐらを掘り進めて貫通させたのでしょうか?

 

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 さて。更に歩いて行くと狛犬が見えてきます。半僧坊は建長寺の鎮守“社”なので、神社の体裁をとっているのですね。

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少し進むと半僧坊大権現碑が。
左手に見えるのは達磨像です。

 

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鉄製の鳥居。
形状は靖国鳥居でしょうか。
貫(ぬき)(横向きに取り付けられている下側の材)の断面が長方形になっているのが特徴の鳥居です。
本来、靖国神社や招魂社にある鳥居なのですが。
 

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もう少し進むと、また狛犬があります。

 

そしてここから相当な段数の階段を登っていきます。

正直言ってナメてました。

この程度なら余裕だろうと思って挑んだら、運動不足が祟って息切れしてしまいました。

 

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息切れを堪えて、歩を進めると手水舎があります。

そこで目を上に転ずると、烏天狗の群れが!

実はこの写真に収まりきらない程の烏天狗がいるのです。

この最後の階段を登りきると、半僧坊に至ります。

 

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社殿の少し下には、天狗の団扇を彫ったと思わしき岩もありました。

 

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登りきると絶景が待っています。

画像中央やや右手に、建長寺の方丈らしき建物が小さく見えます。

かなり登ってきましたね。

 

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社殿でお参りを済ました後、右隣にある社務所で御朱印を頂きました。

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帰りはまた、天狗の間を縫って山を下っていきます。建長寺さんの御朱印も忘れずに番号札と引き換えます。

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 次回は円覚寺に向かいます。